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    ポート・アーサー観光完全ガイド|料金・行き方・見どころ・おすすめツアー

    ホバートから南東へ車で約1時間30分。タスマン半島の入り江に広がるポート・アーサー史跡地区(Port Arthur Historic Site)は、オーストラリアの流刑制度を伝える世界遺産です。

    海沿いの美しい庭園と石造りの廃墟が印象的ですが、ここは単なる「昔の刑務所」ではありません。流刑囚、兵士、役人、自由移民、その家族が暮らし、働いた広大な町の跡です。

    1830年に木材伐採拠点として始まり、やがて再犯者を収容する重要な流刑地となりました。現在はPenitentiary、Separate Prison、Convict Church、Commandant’s Houseなど30棟を超える建物と遺構が残っています。

    入場券は2日間有効で、日本語の音声ガイド、主要地点で行われる短いガイドトーク、約20分のハーバークルーズが含まれます。敷地が広いため、日帰りでも最低4~5時間は見ておきたい場所です。

    ホバートからレンタカーで個人訪問できますが、往復運転、途中の観光、入場券をまとめた英語ツアーも便利です。トラベルドンキーでは、ポート・アーサー単独、リッチモンドやタスマン半島、タスマニアン・デビルを組み合わせた複数の商品が案内されています。

    日本からの旅行者には、現地の英語ガイドツアーだけでなく、入場料に含まれる日本語音声ガイドを活用する方法がおすすめです。建物を眺めるだけでなく、収容された人々の生活と制度の背景を理解しやすくなります。

    この記事では、2026年の入場料金、営業時間、ホバートからの行き方、チケットに含まれる内容、主要な見どころ、追加ツアー、食事、宿泊、周辺観光、モデルコース、安全上の注意まで、日本から訪れる旅行者向けにまとめます。




    ポート・アーサーとは?

    ポート・アーサー史跡地区は、タスマニア南東部のタスマン半島にある、オーストラリアを代表する流刑地遺跡です。

    2010年、オーストラリア各地の11の流刑地遺跡で構成される「Australian Convict Sites」の一つとして、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

    敷地には30棟を超える歴史的建造物、廃墟、復元住宅、庭園、遊歩道があり、入り江を囲む景観全体が保存されています。

    石造りのPenitentiaryが象徴的ですが、教会、病院、精神的な隔離を行ったSeparate Prison、役人の住宅、工場、造船所、墓地など、流刑地の町全体を学ぶ場所です。

    正式名称 Port Arthur Historic Site
    所在地 Arthur Highway, Port Arthur, Tasmania 7182
    ホバートから 約100キロ、車で約1時間30分
    営業時間 9:00~17:00、クリスマス休業
    2026年大人料金 AU$55
    チケット有効期間 連続する2日間
    所要時間 最低4~5時間、理想は1日
    日本語対応 日本語セルフガイド音声あり

    短時間で「建物だけ」を見るともったいない

    入場券には音声ガイド、ハーバークルーズ、主要地点の短いガイドトークが含まれます。到着後すぐに帰りの時間を決めず、少なくとも半日を確保してください。

    先住民文化とポート・アーサーの歴史

    ポート・アーサーがあるturrakana/タスマン半島は、ヨーロッパ人の到来以前からPalawa(タスマニア先住民)の人々が暮らし、海岸、森、海と深い関係を築いてきた土地です。

    現在の史跡地区は、譲渡されていない先住民の土地の上にあります。流刑地の歴史だけでなく、その前から続く土地の歴史を意識して訪れてください。

    ポート・アーサーの流刑地は1830年、小規模な木材伐採拠点として始まりました。

    その後、ヴァン・ディーメンズ・ランドやニュー・サウス・ウェールズへ送られた後に再び罪を犯した男性囚人を収容する、重要な二次刑罰施設へ発展します。

    1840年代には囚人数が1,100人を超え、造船、靴作り、鍛冶、木材、レンガ、農業などの労働が行われました。

    Separate Prisonでは肉体的な罰に代わり、沈黙、隔離、規律によって精神を管理しようとする制度が採用されました。

    流刑地は1877年に閉鎖され、その後はCarnavonという町として観光地化されました。1897年の火災などで建物の多くが損傷しましたが、廃墟を含む景観が保存されています。

    1996年4月28日に起きた悲劇については、史跡内のMemorial Gardenで静かに追悼されています。訪問時は、写真撮影や会話に配慮し、追悼の場として尊重してください。

    「怖い刑務所」の物語だけにしない

    ここで語られるのは、犯罪と罰だけではありません。貧困、強制移住、労働、家族、医療、宗教、改革思想、観光化、保存活動まで、さまざまな時代の人々の人生が重なっています。



    ホバートからポート・アーサーへの行き方

    ホバートから日帰りできますか?
    できます。車で片道約1時間30分ですが、史跡が広いので朝に出発してください。運転を避けたい場合は、入場券付きのホバート発1日ツアーが便利です。

    レンタカー・自家用車

    ホバート中心部からTasman Highway(A3)を東へ進み、SorellからArthur Highway(A9)を南下します。

    道路はPort Arthurまで舗装され、通常の乗用車で問題なく走れます。

    所要時間は約1時間30分ですが、朝の交通、道路工事、霧、雨、途中の立寄りを考え、2時間近く見ておくと安心です。

    Eaglehawk NeckのTessellated Pavement、Blowholeなどへ寄る場合は、さらに時間を追加してください。

    ホバート発ツアー

    英語の1日ツアーでは、ホバート市内からの往復送迎、Port Arthur Historic Siteの入場、ハーバークルーズ、タスマン半島の観光などが組み合わされています。

    リッチモンド、Tasmanian Devil Unzoo、Isle of the Deadを追加した商品もあります。

    運転、駐車、帰路の疲労を避けられるため、短期滞在や一人旅に使いやすい方法です。

    一方、史跡内の自由時間は商品ごとに異なります。じっくり見たい人は「Port Arthur滞在時間」を確認してください。

    公共交通・定期送迎

    ホバートとタスマン半島を結ぶ定期交通やシャトルはありますが、運行日、時刻、途中停車、予約条件が変わることがあります。

    一般の路線交通だけで日帰りすると、史跡内の滞在時間が短くなる場合があります。

    予約前に往路と復路を確認し、最終便を逃さない計画を立ててください。

    短期旅行者には、往復送迎と入場券が一体になったツアーの方が分かりやすいでしょう。

    駐車場

    Visitor Centre前に無料駐車場があります。

    一般車、キャンピングカー、バス向けの区画が用意されています。

    夏休み、週末、クルーズ船寄港日は入口に近い区画が埋まりやすいため、早めに到着してください。

    車内にパスポート、現金、カメラなどを見える状態で残さないでください。

    給油と運転の注意

    最寄りの給油場所は史跡から1キロ以内にありますが、季節により営業時間が変わります。

    タスマン半島の多くのガソリンスタンドは夕方早く閉まるため、ホバートまたはSorellで燃料を確認しておきます。

    夕暮れ以降はワラビー、パデメロン、ポッサムなどが道路へ出ます。

    ゴーストツアー後にホバートへ戻る場合は夜間運転になるため、Port Arthur周辺へ宿泊する方が安全です。

    国立公園パスは必要?

    Port Arthur Historic Siteは独自の入場券で見学する施設です。史跡だけを訪れる場合、Tasmania Parksの国立公園パスは必要ありません。

    同じ日にTasman National ParkのCape Hauy、Cape Raoul、Fortescue Bayなどへ入る場合は、別途有効な国立公園パスが必要です。

    史跡入場券と国立公園パスを混同しないようにしてください。

    トラベルドンキーのおすすめツアー

    ポート・アーサー、リッチモンド&タスマン半島

    ポート・アーサー、リッチモンド&タスマン半島は、流刑地跡、タスマン半島の海岸景観、歴史的な町リッチモンドを一日で巡る英語ツアーです。

    Port Arthur Historic Siteの入場とハーバークルーズが含まれ、主要ホテル送迎付きプランが案内されています。

    2026年7月現在、一般料金AU$175、インターネット料金AU$166から掲載されています。

    初めてのタスマニア旅行で、史跡だけでなくリッチモンドも見たい人に向いています。

    ポート・アーサー日帰りツアー

    ポート・アーサー日帰りツアーは、ホバートからタスマン半島へ向かい、Port Arthur Historic Siteを中心に見学する英語ツアーです。

    史跡入場とCarnavon Bayのハーバークルーズを含みます。

    2026年7月現在、一般料金AU$180、インターネット料金AU$171から案内されています。

    リッチモンドや動物園より、Port Arthurの見学を優先したい人に使いやすいプランです。

    ポート・アーサーとタスマニアン・デビル

    ポート・アーサーとタスマニアン・デビルは、Port Arthur Historic SiteとTasmanian Devil Unzooを組み合わせた英語の1日ツアーです。

    史跡ではハーバークルーズが含まれ、自然保護施設ではタスマニアン・デビルなどを観察します。

    2026年7月現在、一般料金AU$199、インターネット料金AU$189から案内されています。

    歴史とタスマニア固有動物を一日で体験したい家族旅行にも向いています。

    グランド・ポート・アーサー

    グランド・ポート・アーサーは、通常の史跡見学に加え、Isle of the Deadのガイドツアーを含むプランです。

    港内の小島へ上陸し、囚人、兵士、自由民などが埋葬された墓地を英語ガイドと見学します。

    2026年7月現在、一般料金AU$200、インターネット料金AU$190から案内されています。

    史跡の歴史をより深く知りたい人、通常のハーバークルーズだけでは物足りない人に向いています。

    4つのツアーを比較

    ツアー ネット料金 主な特徴
    リッチモンド&タスマン半島 AU$166~ 史跡、海岸景観、リッチモンド。
    ポート・アーサー日帰り AU$171~ 史跡見学を中心にした定番。
    タスマニアン・デビル付き AU$189~ 史跡と動物保護施設。
    グランド・ポート・アーサー AU$190~ Isle of the Dead上陸ツアー付き。

    料金、催行曜日、ホテル送迎、食事、史跡内の滞在時間は変更される場合があります。予約時にトラベルドンキーの商品ページで最新条件を確認してください。

    入場前に知っておきたいこと

    2026年の入場料金

    2026年7月現在のPort Arthur Historic Site公式入場料金は次のとおりです。

    区分 料金
    大人 AU$55.00
    子ども AU$27.50
    コンセッション AU$44.00
    ファミリー AU$165.00

    日本の学生証やシニア証明が、自動的にオーストラリアのConcession料金へ適用されるとは限りません。

    チケットは連続する2日間有効です。

    追加のガイドツアーとゴーストツアーは別料金です。

    営業時間

    史跡地区は毎日9:00~17:00に開館し、クリスマスは休業します。

    Visitor Centre、Port Arthur Gallery、敷地内建物の基本時間も9:00~17:00です。

    駐車場、カフェ、ギフトショップ、夜間ツアーは異なる営業時間が設定されます。

    ゴーストツアー開催日は夜まで駐車場を利用できますが、日中入場の終了時刻とは別に確認してください。

    入場券に含まれるもの

    • 30棟を超える建物、廃墟、復元住宅、庭園、遊歩道への入場
    • Port Arthur Galleryの展示
    • 日本語対応のセルフガイド音声体験
    • 約20分のハーバークルーズ
    • Penitentiary、Separate Prisonなど主要地点の短いガイドトーク
    • 連続する2日間の入場

    Isle of the Deadへの上陸、Premium Tour、Essentials Tour、Escape Tour、Ghost Tourは含まれません。

    必要な見学時間

    滞在時間 できること
    2~3時間 Penitentiary、Separate Prison、教会、短いクルーズ。かなり駆け足。
    4~5時間 主要施設、音声ガイド、ガイドトーク、クルーズ、昼食。
    1日 敷地全体、住宅、庭園、追加ツアーを含めて落ち着いて見学。
    2日 入場券の有効期間を使い、史跡と追加ツアーを分けて訪問。

    ホバート発ツアーでは見学時間が決められています。史跡に強い関心がある人はレンタカーで一泊する方法がおすすめです。

    日本語音声ガイド

    セルフガイドのPort Arthur Audio Experienceは、日本語、英語、フランス語、中国語に対応しています。

    現地のガイドトークと有料ツアーは原則英語です。

    スマートフォンを使う方式や貸出方法が変更される場合があるため、到着時にVisitor Centreで確認してください。

    イヤホンを持参すると、混雑した場所でも聞き取りやすくなります。

    バリアフリー

    Visitor Centre、Port Arthur Gallery、カフェ、1830 Restaurant & Barは、スロープまたはエレベーターで車椅子利用が可能です。

    敷地は広く、坂道、砂利、芝生、歴史的建物の段差があります。

    10:30~15:30には、移動に制限がある人向けの無料シャトル車両が敷地内を運行します。

    Essentials Tourと通常のHarbour Cruiseは車椅子対応です。

    Isle of the Deadは最大1:8程度の急坂があり、介助が推奨されます。Ghost Tourは車椅子対応ではありません。

    気候とベストシーズン

    ポート・アーサーは海に近く、ホバートより涼しく、雨と風の影響を受けやすい場所です。

    史跡の多くは屋外で、屋根のない廃墟と広い庭園を歩きます。

    夏の平均最高気温は19℃前後、冬は11℃前後です。

    暖かい日でも海風で冷えるため、薄手の上着と雨具を持参してください。

    月 平均最高気温 平均最低気温
    1月 18.6℃ 10.9℃
    2月 18.9℃ 11.2℃
    3月 17.5℃ 10.5℃
    4月 15.6℃ 9.2℃
    5月 13.4℃ 7.8℃
    6月 11.4℃ 6.1℃
    7月 11.0℃ 5.7℃
    8月 11.7℃ 5.7℃
    9月 13.1℃ 6.3℃
    10月 14.3℃ 7.2℃
    11月 15.7℃ 8.4℃
    12月 16.9℃ 9.6℃

    データ:オーストラリア政府気象局(BOM)Port Arthur(Palmers Lookout)長期平均値。

    日照時間が長く歩きやすい12~3月が人気ですが、混雑も増えます。秋は比較的落ち着き、冬は人が少ない一方、日没が早く雨天が増えます。

    ポート・アーサーの主な見どころ

    Penitentiary

    ポート・アーサーを象徴する大きな石造りの廃墟です。

    もとは1840年代に製粉所と穀物倉庫として建てられ、その後、囚人を収容するPenitentiaryへ改装されました。

    現在は床と屋根の多くが失われていますが、入り江に面した外壁、窓、階層構造から施設の規模を感じられます。

    短い無料ガイドトークが行われることがあるため、当日の時刻表を確認してください。

    Separate Prison

    囚人を個室へ隔離し、沈黙と厳しい規律によって行動を変えようとした施設です。

    復元された独房、礼拝堂、中央監視部分を歩くと、身体的な罰から精神的な統制へ移った刑罰思想を学べます。

    建物内部は静かで、展示内容も重いため、子ども連れでは説明の仕方を考えてください。

    Convict Church

    流刑囚の労働によって建てられた大規模な教会跡です。

    正式に聖別されなかった教会で、宗教教育を通じた改革を象徴しています。

    尖塔、アーチ、石壁が残り、庭園と空を背景にした景観が印象的です。

    建物へ登ったり、壁の不安定な部分へ触れたりしないでください。

    Commandant’s House

    流刑地の責任者と家族が暮らした住宅です。

    囚人施設を見下ろす高台にあり、身分と生活環境の差が建物の位置からも分かります。

    家具、室内展示、庭から、収容者だけでなく管理側の生活も学べます。

    坂を上るため、移動に不安がある人はシャトル車両を利用してください。

    Asylum

    流刑地末期に精神的な不調を抱えた人々を収容した建物です。

    その後は町役場などとして利用され、現在は展示とAsylum Caféがあります。

    医療と福祉が当時どのように考えられていたかを知る場所です。

    Government Gardens

    1840年代に整備された庭園を、歴史資料に基づいて再現しています。

    管理された秩序と「文明的な生活」を示す象徴として、囚人の区域とは異なる空間が作られました。

    季節の花、芝生、入り江の景色を楽しめ、重い展示の合間に休憩しやすい場所です。

    ポート・アーサーのおすすめの楽しみ方

    ハーバークルーズ

    入場券には、Carnavon Bayを巡る約20分のハーバークルーズが含まれます。

    船上からPoint Puer Boys’ Prison、Isle of the Dead、史跡の海岸線を眺めます。

    通常のクルーズはIsle of the Deadへ上陸しません。上陸には別料金のガイドツアーが必要です。

    便の時刻と空席を到着時に確認してください。

    無料ガイドトーク

    Penitentiary、Commandant’s House、Convict Church、Separate Prisonなどで、短い英語ガイドトークが行われます。

    開催場所と時刻は日ごとに変わります。

    音声ガイドだけでは分かりにくい建物の使われ方や人物の話を聞けるため、英語に不安があっても一度参加してみる価値があります。

    Isle of the Dead Tour

    港内の小島へフェリーで渡り、約40分の英語ガイドと墓地を歩きます。

    1833~1877年に、囚人、兵士、役人、自由民、子どもなどが埋葬されました。

    2026年7月現在、追加料金は大人AU$30です。Port Arthurの入場券が別途必要です。

    坂が急で、雨天時は滑りやすくなります。墓石へ触れたり、歩道を外れたりしないでください。

    Ghost Tour

    閉館後の敷地をランタンで歩く約90分の英語ツアーです。

    2026年7月現在、水~日曜日の18:00と20:00を中心に開催され、大人料金はAU$35です。

    日中入場券がなくても、Ghost Tour単独で参加できます。

    暗い建物、段差、狭い場所を歩くため、移動制限がある人と車椅子利用者には適していません。

    追加の有料ガイドツアー

    ツアー 所要時間 大人料金
    Essentials Tour 約45分 AU$10
    Premium Tour 約90分 AU$30
    Escape from Port Arthur 約60分 AU$20
    Isle of the Dead 約60分(船を含む) AU$30

    いずれも基本入場券への追加として予約します。開催時間と料金は変更される場合があります。

    子どもと見学する

    敷地が広いため、小さな子どもにはベビーカーが便利です。Visitor Centreで貸出がある場合もあります。

    Port Arthur Galleryには、人物カードや体験型展示があり、建物だけを歩くより理解しやすくなっています。

    Separate Prison、墓地、ゴーストツアーなどの内容は、年齢と性格に合わせて選んでください。

    池、海岸、段差、石壁の周辺では子どもから目を離さないでください。




    ポート・アーサー周辺の見どころ

    Remarkable Cave

    Port Arthur Historic Siteから南へ車で約10分の海食洞です。

    駐車場の展望台からMaingon Bayを眺め、階段を下りると洞窟の入口を正面から見られます。

    往復は短いものの階段が急で、雨や海水で滑りやすくなります。

    高波と満潮時には洞窟へ近づかず、表示された展望場所から見学してください。

    Eaglehawk Neck

    タスマン半島と本土側をつなぐ狭い地峡です。

    流刑地時代には逃亡を防ぐため、犬を配置したDog Lineが設けられました。

    現在はTessellated Pavement、Blowhole、海岸展望地への拠点となっています。

    Port Arthurへ向かう途中にありますが、立寄り先を増やしすぎると史跡の見学時間が短くなるため、往路と復路へ分けてください。

    Coal Mines Historic Site

    Saltwater Riverにある、オーストラリア流刑地史跡群の構成資産です。

    地下炭鉱での重労働、囚人施設、将校の住宅跡などが残り、Port Arthurとは異なる流刑制度の一面を学べます。

    Port Arthurから車で約30~40分です。

    施設や飲食店が少なく、道の一部は狭いため、明るい時間帯に訪れてください。

    Tasman Island Cruise

    Port Arthur周辺を出発し、Cape Pillar、Tasman Island、海食洞、滝、オットセイの生息地などを約3時間巡る外洋クルーズです。

    史跡入場券に含まれる20分のHarbour Cruiseとは、内容、船、料金がまったく異なります。

    クルーズと史跡を同日に組み合わせると、どちらも駆け足になりやすいため、一泊して別日に分ける方法がおすすめです。

    Tasman National Park

    オーストラリア有数の高い海食崖、森林、砂浜、岬を保護する国立公園です。

    Cape Hauy、Cape Raoul、Fortescue Bay、Three Capes Trackなどがあります。

    国立公園へ車で入る場合は、Port Arthur Historic Siteの入場券とは別にTasmania Parksのパスが必要です。

    2026年はTasman ArchとDevils Kitchen周辺で施設工事に伴う閉鎖が案内されています。訪問当日の公式アラートを確認してください。

    Point Puer Boys’ Prison

    Port Arthurの港を挟んだ半島にあり、1834年から少年囚人を収容した施設です。

    現在は通常の自由見学区域ではなく、ハーバークルーズから海岸と遺構を眺めます。

    Port Arthur Galleryには、少年囚人の生活を扱う展示があります。

    庭園・野生動物・自然

    Port Arthur Historic Siteは歴史施設であると同時に、入り江、芝生、森林、庭園が広がる屋外の景観地です。

    Government Gardensには季節の花や整えられた植栽があり、流刑地の管理者側が示そうとした秩序と生活文化を伝えています。

    敷地ではワラビー、パデメロン、ポッサム、鳥類を見かけることがあります。

    港では海鳥が多く、Harbour Cruise中にカツオドリ、ウ、カモメなどを観察できます。

    野生動物へ餌を与えず、近づくために遊歩道を外れないでください。

    芝生と石造りの建物は美しく見えますが、ここで生活した人々の歴史を背景に持つ文化遺産です。ウェディング写真や演出を伴う撮影は、周囲と場所の意味に配慮してください。

    カフェとレストラン

    Port Arthur Café

    Visitor Centre内にあり、毎日9:00~17:00に営業しています。

    コーヒー、サンドイッチ、軽食、温かい料理などを扱い、到着時と見学後に利用しやすい場所です。

    昼前後はツアー客で混雑するため、時間をずらすと座席を確保しやすくなります。

    Asylum Café

    史跡内の旧Asylumにあり、毎日11:30~15:30に営業しています。

    Visitor Centreより静かなことが多く、敷地を歩いている途中の休憩に便利です。

    営業時間とメニューは季節や催事で変更される場合があります。

    1830 Restaurant & Bar

    Penitentiary、庭園、入り江を望むレストランです。

    毎日11:30~14:30にランチ営業し、タスマニアの季節食材を使った料理、ワイン、ビールなどを提供します。

    週末、夏期、特別行事の際は事前予約がおすすめです。

    運転者はアルコールを飲まないでください。

    Picnic Pack

    事前予約制のPicnic Packは、前日までにオンラインで注文し、当日10:00以降に受け取ります。

    敷地内の庭園や芝生で、自分のペースで昼食を取りたい人に便利です。

    食事制限

    グルテンフリー、ベジタリアン、ヴィーガン、ハラールなどの選択肢を相談できます。

    重いアレルギーがある場合は、注文時にスタッフへ具体的に伝えてください。

    宿泊エリアの選び方

    Port Arthur Historic Site周辺

    史跡を2日かけて見学する人、Ghost Tourへ参加する人に最も便利です。

    徒歩または短い車移動で史跡へ行けるコテージ、モーテル、ホリデーパークがあります。

    夕食を提供しない宿もあるため、レストラン、自炊設備、チェックイン時間を確認してください。

    Nubeena

    スーパー、給油、薬局など日常的な施設を利用しやすい、タスマン半島の中心的な町です。

    Port Arthur、White Beach、Cape Raoul方面を回る拠点に向いています。

    史跡までは車で約15分前後です。

    Eaglehawk Neck

    Tessellated Pavement、Blowhole、海岸景観を重視する人に便利です。

    Port Arthur Historic Siteまでは車で約20~25分です。

    小規模な宿が中心で、夜間は静かです。

    Fortescue Bay

    Cape HauyやThree Capes Trackなどのハイキングを目的にする人向けです。

    キャンプ場の予約、国立公園パス、食料、水、火気規制の確認が必要です。

    Port Arthurの史跡観光だけを目的にする場合は、移動が不便です。

    ホバートCBD

    送迎付き1日ツアーに参加する場合は、ホバート中心部に宿泊する方法が簡単です。

    夕食、空港移動、市内観光の選択肢が多く、短期旅行に向いています。

    レンタカーで日帰りする場合は、往復約3時間の運転になります。

    宿泊エリア 向いている人
    Port Arthur周辺 2日間入場、Ghost Tour、朝からの見学。
    Nubeena 買い物、給油、半島周遊。
    Eaglehawk Neck 海岸地形、短い散策、静かな滞在。
    Fortescue Bay ハイキング、キャンプ。
    ホバートCBD 送迎ツアー、短期滞在、市内観光。



    ポート・アーサーのモデルコース

    レンタカーで日帰り・定番コース

    時間帯 モデルプラン
    7:30頃 ホバート出発。
    9:00頃 Port Arthur到着、入場、Galleryと音声ガイドの準備。
    午前 Penitentiary、Convict Church、Separate Prison、無料ガイドトーク。
    昼 カフェまたはレストランで昼食。
    午後 Harbour Cruise、Commandant’s House、Government Gardens。
    16:00頃 史跡を出発。
    夕方 時間と営業状況に応じRemarkable Caveへ寄り、ホバートへ。

    海岸の立寄り先を往路に多く入れると、Port Arthurの見学時間が不足します。

    ホバート発1日ツアー

    時間帯 モデルプラン
    早朝 ホバート市内の指定集合場所またはホテルから出発。
    午前 タスマン半島の景勝地、Port Arthur Historic Siteへ。
    昼前~午後 史跡見学とHarbour Cruise。
    午後 商品によりRichmond、Unzoo、Isle of the Deadなど。
    夕方 ホバートへ帰着。

    各商品の史跡内滞在時間を確認し、見たい建物の優先順位を決めておくと効率的です。

    Port Arthur周辺に1泊・2日間入場

    日程 モデルプラン
    1日目午前 ホバートから移動し、昼前に史跡入場。
    1日目午後 Gallery、Penitentiary、Separate Prison、Harbour Cruise。
    1日目夜 夕食後、予約済みならGhost Tour。
    2日目午前 Commandant’s House、庭園、住宅、Isle of the Dead。
    2日目午後 Remarkable Cave、Eaglehawk Neckを経由してホバートへ。

    同じ入場券で2日目も入れるため、一つひとつの展示を急がずに見られます。

    歴史を深く学ぶ1日

    時間帯 モデルプラン
    9:00 開館と同時に入場、日本語音声ガイドを開始。
    午前 PremiumまたはEssentials Tour、Penitentiary、Separate Prison。
    昼 1830 Restaurant & Bar。
    午後前半 Isle of the Dead Tour。
    午後後半 Commandant’s House、Asylum、Government Gardens。
    17:00 閉館。周辺宿泊。

    追加ツアーは時間が重ならないよう、入場券と一緒に事前予約してください。

    子ども連れの日帰り

    時間帯 モデルプラン
    午前 Galleryの体験型展示、Penitentiary、短いガイドトーク。
    昼 早めに昼食。
    午後前半 Harbour Cruise。
    午後後半 庭園、教会、見学したい住宅を数か所。

    全てを見ようとせず、休憩、トイレ、ベビーカーで移動しやすい経路を優先してください。

    タスマン半島2泊3日

    日程 モデルプラン
    1日目 ホバートからEaglehawk Neckを経由し、Port Arthur周辺泊。
    2日目 Port Arthur Historic Siteを終日見学、夜はGhost Tour。
    3日目 Tasman Island Cruise、Coal Mines Historic Site、または短いウォーキング。

    天候と海況に合わせてクルーズやウォーキングの日を入れ替えやすい日程です。

    天候・運転・見学上の注意

    雨と風に備える

    見学の多くは屋外です。

    傘は海風で使いにくいため、フード付きの防水ジャケット、重ね着、歩きやすい靴を用意してください。

    夏でも気温が低くなることがあります。

    石畳・砂利・芝生は滑りやすい

    歴史的な建物には段差、狭い入口、不均一な床があります。

    雨天は石、木製通路、芝生が滑るため、サンダルや底の平らな靴は避けてください。

    遺構へ登らない

    石壁、窓、廃墟の一部は不安定です。

    写真を撮るために柵を越えたり、壁へ座ったり、石を動かしたりしないでください。

    敷地から石、植物、遺物を持ち帰らないでください。

    Memorial Gardenを尊重する

    1996年の犠牲者を追悼する場所です。

    大声、演出を伴う写真、無断の商業撮影を避け、静かに訪れてください。

    カードを用意する

    Port Arthurではクレジットカードまたはデビットカードでの支払いが推奨され、多くの端末がカード専用です。

    入場券は事前にオンライン購入し、スマートフォンと印刷した控えの両方を用意すると安心です。

    夜間運転を避ける

    夕暮れから夜は野生動物が道路へ出ます。

    Ghost Tour終了後は暗く、ホバートまで約1時間30分かかります。

    運転に慣れていない人は、Port Arthur周辺へ宿泊してください。

    燃料を早めに入れる

    半島内のガソリンスタンドは都市部より少なく、18時前に閉まる場所があります。

    Sorellまたはホバートで残量を確認し、給油を後回しにしないでください。

    レンタカーの契約を確認する

    Arthur Highwayは舗装されていますが、Coal Mines、Fortescue Bay、脇道には未舗装区間があります。

    レンタカー会社の未舗装路、タイヤ、フロントガラス、車体下部の補償条件を確認してください。

    ドローンは禁止

    Port Arthur Historic Siteでは、一般旅行者によるレクリエーション目的のドローン飛行は認められていません。

    国立公園や周辺地域でも別の許可条件があります。

    子どもから目を離さない

    池、海岸、階段、石壁、坂道があります。

    展示に触れないこと、野生動物へ餌を与えないことを事前に説明してください。

    緊急時

    オーストラリアの警察・消防・救急は000です。

    史跡内ではスタッフへ知らせ、夜間や周辺道路では安全な場所へ停車して連絡してください。

    Port ArthurとTasman National Parkは別料金

    Port Arthur Historic Siteの入場券は史跡用です。Cape Hauy、Cape Raoul、Fortescue BayなどTasman National Parkへ行く場合は、別途国立公園パスを用意してください。



    ポート・アーサーに関するよくある質問(FAQ)

    ポート・アーサーの入場料はいくらですか?

    2026年7月現在、大人AU$55、子どもAU$27.50、コンセッションAU$44、ファミリーAU$165です。チケットは連続する2日間有効です。

    入場券には何が含まれますか?

    30棟を超える建物と遺構、Port Arthur Gallery、日本語を含む音声ガイド、約20分のハーバークルーズ、主要地点の短いガイドトークが含まれます。

    ホバートから日帰りできますか?

    できます。車で片道約1時間30分です。最低4~5時間の見学時間を確保するため、朝早く出発してください。送迎付きの1日ツアーもあります。

    日本語で見学できますか?

    セルフガイド音声体験は日本語に対応しています。現地のガイドトークと追加ツアーは原則英語です。

    ハーバークルーズでIsle of the Deadへ上陸しますか?

    通常の20分クルーズは上陸しません。墓地へ上陸するには、別料金のIsle of the Dead Cemetery Tourを予約してください。

    Ghost Tourだけ参加できますか?

    できます。Ghost Tourには日中の入場券は必要ありません。約90分の英語ツアーで、暗い場所と段差を歩きます。

    国立公園パスは必要ですか?

    Port Arthur Historic Siteだけなら不要です。Tasman National ParkのCape Hauy、Cape Raoul、Fortescue Bayなどへ入る場合は必要です。

    車椅子で見学できますか?

    主要施設の一部は車椅子で利用でき、敷地内シャトルと貸出車椅子もあります。ただし、坂、砂利、歴史的建物の段差があり、全区域が完全対応ではありません。事前連絡がおすすめです。

    ポート・アーサーに関する参考情報

    まとめ:最低半日、できれば1日かけて歩く

    ポート・アーサー史跡地区は、オーストラリアの流刑制度を伝える世界遺産であり、30棟を超える建物、廃墟、庭園、港を含む広大な歴史地区です。

    2026年7月現在、入場券は大人AU$55で連続する2日間有効。日本語音声ガイド、約20分のハーバークルーズ、主要地点の短いガイドトークが含まれます。

    ホバートから車で約1時間30分ですが、見学には最低4~5時間必要です。短期旅行で運転を避けたい人は、入場券と送迎を含むトラベルドンキーの1日ツアーを利用できます。

    Penitentiaryだけでなく、Separate Prison、Convict Church、Commandant’s House、Gallery、庭園を歩き、ここで暮らしたさまざまな立場の人々の歴史に触れてください。

    雨と風に備え、歩きやすい靴を用意し、時間に余裕があれば周辺へ一泊して、Ghost TourやIsle of the Dead、タスマン半島の海岸景観も組み合わせると充実した旅行になります。

    ホバートの旅行手配

    トラベルドンキーでは、ホバートのオプショナルツアー(現地発着ツアー)、アクティビティ等をご紹介、ご予約を承っています。

    ホバートとタスマニアを知り尽くしたオーストラリア在住のスタッフが対応しておりますので、正確な情報の提供、的確なアドバイス、到着フライトの遅延・欠航など、緊急時の迅速な対応も可能となっています。

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  • 【2022年版】オーストラリアの有名な建造物 16選

    【2022年版】オーストラリアの有名な建造物 16選

    海外旅行のひとつの楽しみと言えば、その土地の文化や生活様式を表したお城や宮殿、教会や橋などの建物・建造物を巡ることですよね。

    英国海軍のアーサー・フィリップ大尉率いる最初の植民船団がシドニー湾に上陸した1788年から230年余り。

    歴史の浅いオーストラリアにも観光名所として知られる様々な建造物があります。

    今回はその中からいくつかご紹介したいと思います。

シドニー・オペラハウス

シドニー、またはオーストラリアのシンボル的存在として親しまれているのが、このシドニー・オペラハウスです。

白い貝殻が重なるような、またはヨットの帆が風にはためくかのようなシドニー・オペラハウスの外観は、デザイン・コンテストに応募された233件の中から選ばれたデンマークの建築家、ヨーン・ウツソン氏の設計案が基礎デザインとなっています。

1959年に着工したシドニー・オペラハウスは1963年の完成予定から大幅に遅れ、工事費用も当初予算より大幅に膨れ上がりました。

さらに新たに選出された州政府の面々と協力関係を築けなかったウツソン氏が建築設計者から辞任したため、そのあとを継いだ数人の建築家たちの手により、予定より10年遅れ、1973年に完成しました。

総工費は当初予定された700万ドルの14倍以上にもなる1億200万ドルに達したと言います。

内部には収容人数2679席の「コンサートホール」を始め、大小5つのホール/ シアターと5つのリハーサルスタジオ、4つのレストランと6つのバーがあります。

ちなみに「コンサートホール」内には、世界最大級の機械式パイプオルガン、「グランドオルガン」が鎮座しています。

建物の高さは183m、横幅は120m、面積は1.8ヘクタールとなっています。

建物を象徴する白いシェル状の屋根にはスウェーデン製のタイルが105万6000枚使われています。

シドニー・オペラハウスは2007年に開かれた第31回世界遺産委員会で世界遺産登録されました。

今日ではシドニー・オペラハウスはオーストラリアを代表する観光地になっており、毎年820万人以上の旅行者が訪れています。

また世界で最も忙しい劇場にもなっており、年間363日、2000以上の公演が行われ、150万人以上の観客がコンサートや観劇に訪れています。

シドニー・オペラハウスを観光する場合、様々な館内ツアーに参加することができます。

約1時間の「オペラハウス・ツアー」では、いくつかのホールを巡るほか、歴史や音響技術について学ぶことができます。

同じく約1時間の「アーキテクチャラル(建築学)・ツアー」では、1950年代に設計されたシドニー・オペラハウスの建築学的背景や工学・技術的側面を学ぶことができます。

少人数のグループで巡る約1時間の「ビヨンド・ザ・ステージ・ツアー」では、普段は見ることのできないバックステージ、所謂、舞台裏を訪れたり、隠れたエピソードを聞いたりすることができます。

その他にもお子様向けのツアーがあったり、「テイスト・オブ・ザ・ハウス」と呼ばれる館内ツアーとオペラハウスのレストランでのお食事がセットになったツアーも用意されています。

また現在、シドニー・オペラハウスでは夜間にプロジェクション・マッピングが行われています。

これはシドニー・オペラハウスの白い屋根を利用した、プロジェクターによる映像投影です。

シドニー湾の夜景の中に浮かび上がる幻想的な映像は、観光客のみならず国内外の多くの人々から高い人気を博しています。

建造物名

シドニー・オペラハウス (Sydney Opera House)

場所

Bennelong Point, Sydney NSW 2000(地図)

Webページ https://www.sydneyoperahouse.com/

シドニー・ハーバー・ブリッジ

オペラハウスと並び、シドニーの顔とも言えるのがこのシドニー・ハーバー・ブリッジです。

オペラハウスを望むシドニー湾に建ち、シドニーと北部のノースシドニーを結ぶ交通の要として機能しています。

「コートハンガー(コート掛け)」というニックネームは、その美しいアーチ型の曲線に由来しています。

ニューサウルウェールズ州公共事業局のジョン・ブラッドフィールド氏の監督のもと、1923年に着工、1932年に完成しました。

ブラッドフィールド氏は1914年に「シドニー・ハーバーブリッジと大都市鉄道建設プロジェクト」の主任技官に任命されました。

同年、勃発した第一次世界大戦の終戦後、ブラッドフィールド氏は世界を巡り、プロジェクトの入札業者を探しました。

また、幾多ある橋の形状から、アーチ型を採用することとし、公共事業局にてアメリカはニューヨークのヘル・ゲート・ブリッジをモデルとして基礎デザインを作成しました。

9年という歳月と625万ドルという莫大な費用を費やし、シドニー・ハーバー・ブリッジは完成しました。

503mという全長は、アーチ型の橋としては世界で8番目の長さとなります。

また、水面から134mという高さは鉄製アーチ型の橋としては世界最高となります。

現在は8車線のハイウェイ、シティレールの鉄道線路、自転車専用道、そして歩道が設置されており、世界一、車線が多い橋ともなっています。

シドニー・ハーバー・ブリッジは緩衝地域として、シドニー・オペラハウスと共に2007年に世界遺産登録されました。

観光としては、王立植物園内にある岬のミセス・マッコーリーズ・ポイントから、オペラハウスの全景と共に写真に収める、というのが定番となっています。

また、2006年に開業したブリッジクライム・シドニーでは、ハーバーブリッジのアーチ型の鉄橋の上を登ることができます。

昼間、トワイライト、夜間、と時間によって異なるクライムが楽しめ、中でも夕日をバックにシドニー・ハーバーブリッジの上からシドニー湾を見下ろせるトワイライトは人気のコースとなっています。

建造物名

シドニー・ハーバー・ブリッジ (Sydney Harbour Bridge)

場所

Sydney Harbour Bridge, Sydney NSW 2000(地図)

ブリッジクライムWebページ https://www.bridgeclimb.com/

クイーン・ビクトリア・ビルディング (QVB)

QVBの愛称で親しまれているこの建物は、1898年に着工、1898年に完成しました。

長さが190m、幅が30mあり、シドニー市役所(Sydney Town Hall)に隣接しています。

デザインはスコットランドからの移民で建築士のジョージ・マクラエ氏によるもので、もともとゴシック様式、ルネッサンス様式、クイーン・アン様式、ロマネスク様式と、様式の異なる4つのデザインが描かれました。

シドニー市役所により、最終的にはロマネスク・リバイバル様式が採用されています。

元は市場として想定されたこの建物は1898年のオープン当初、仕立て屋、反物屋、ヘアドレッサー、花屋、コーヒーショップから展示場、コンサートホールが立ち並びました。

しかし200もの店舗スペースが予定されていたにも関わらず、オープン当初はわずか47店舗しか賃貸契約がありませんでした。

1905年までに20店舗ほど増えましたが、やはり当初の予定には届かず、1910年に市場はシドニー市南部のヘイマーケット(現チャイナタウン内)に移設されました。

その後、改装工事を重ね、シドニー市図書館や行政施設として利用されていた期間もあります。

それでも建設費用との採算が取れずにいたこの建物は常に取り壊しの危機にさらされてきました。

1967年になり、オーストラリア・ナショナルトラスト協会によってやっとその歴史的資産価値が見直されました。

1984年から2年の月日と8600万ドルという費用が掛けられ、マレーシア企業によりQVBはショッピングセンターへ生まれ変わりました。

3階建ての建物の内部には、ブティックやハイブランドの洋服店、宝飾店などが並ぶようになります。

建物の運用は軌道に乗り、その後20年あまり買い物客を魅了し続けます。

さらに2008年より4800万ドルを掛けた改装工事によりエスカレーターが設置され、店舗スペースの装いも一新し、現在に至ります。

建造物名

クイーン・ビクトリア・ビルディング (Queen Victoria Building/ QVB)

場所

455 George Street, Sydney NSW 2000 (地図)

Webページ https://www.qvb.com.au/

セント・メアリー大聖堂

シドニーの街の中心地、ハイドパークの北東に隣接する、二つの尖塔を持つ巨大な教会がこのセント・メアリー大聖堂です。

最初の基礎工事が始まったのは1821年10月でした。

ジェームス・デンプシー氏により建設された教会は当初、十字の形をしたシンプルなゴシック建築でした。

1835年にはジョン・ポールディング氏がオーストラリアで初のローマカトリック教会の大司教になっています。

1851年にオーガスタス・ウェルビィ・プギン氏のデザインにより建物は改装されましたが、1865年の火災により焼失してしまいます。

現在のゴシック・リバイバル様式の大聖堂は1868年にポールディング大司教により最初の礎石が置かれたものです。

その後、63年間という紆余曲折の時を経て、1928年にセント・メアリー大聖堂は完成しました。

現在、ハイドパークから見える建物側面のゴシック様式の窓は、尖ったアーチ型と網目状の模様が特徴です。

屋根の輪郭は穴の開いた欄干、高窓の上部の装飾的な切妻飾り、フランス流の小さな屋根窓をいくつも施した角度の急なスレートの屋根でまとめられています。

ハイドパークに面した翼廊は、多くのフランスの聖堂で使われているように一般の出入り口になっており、ドアに豪華な装飾が施されています。

鐘を讃える尖塔はずんぐりした形ながらもその上にそびえる、かぎ針編みを施した円錐状の先端部分により、上品な印象を与えています。

尖塔の高さは74.6mあり、セント・メアリー大聖堂をオーストラリアで4番目に背の高い教会としています。

建物の内部は黄金色の砂岩でできており、その高い天井を支える巨大なアーチ型の柱の列が重厚で荘厳な印象を与えています。

正面、主祭壇の奥には色鮮やかで華やかな巨大ステンドグラスがあり、思わず目を奪われます。

このステンドグラスには聖母マリアの戴冠のストーリーが描かれています。

この他にも「ステーションズ・オブ・ザ・クロス」と題された油絵、聖母マリア像、ジョージ・ワシントン・ランバートによる「名もなき兵士」の彫像など貴重な美術品が数点、奉納されています。

建造物名

セント・メアリー大聖堂(St. Mary Cathedral)

場所

St. Mary Road, Sydney NSW 2000 (地図)

Webページ https://www.stmaryscathedral.org.au//

フリンダース・ストリート駅

メルボルンを象徴する建物と言えば、このフリンダース・ストリート駅の黄色い建物ですね。

メトロ・トレイン・メルボルンの近郊列車の中央駅であるこのフリンダース・ストリート駅は、1854年9月に、オーストラリア最初の鉄道駅として生まれました。

「メルボルンの起点」と呼ばれた当時の駅は単線で、30mほどのプラットホームがひとつあるだけでした。

1880年代に入ると駅は手狭となり、中央駅として生まれ変わるべく計画が進められていきます。

1900年になり、メインエントランスの上部のドーム型の屋根を讃え、エリザベス・ストリートの入り口に時計台を設けたフランス・ルネッサンス様式の、「グリーン・ライト」と名付けられた、鉄道会社職員たちのファウセット&アシュワースによるデザインがコンテストの一等賞を射止めました。

現在の駅舎は1909年に建てられたものになります。

蒸気機関車の時代が終焉を迎え、電車が初めてフリンダース・ストリート駅より出発したのが1919年でした。

1923年には一日2300本もの列車が乗り入れ、30万人もの人々が利用したこの駅は、世界で一番忙しい駅だと考えられていました。

1956年のメルボルン・オリンピックを控え、1954年には地下鉄もフリンダース・ストリート駅に乗り入れるようになりました。

その後も幾度となく改装と、度重なる金銭的挫折を繰り返し、今日に至ります。

現在のフリンダース・ストリート駅は1910年代の色合いを再現するため2017年に塗り替えられたものになります。

メインエントランス上部の時計は、1860年代には次の列車の出発時間を示すための時計でした。

建造物名

フリンダース・ストリート駅(Flinders Street Railway Station)

場所

Flinders Street, Melbourne VIC 3000 (地図)

Webページ https://www.flindersstreetstation.com.au/

ビクトリア州立図書館

八角形を形どり放射状に並んだリーディングデスク、背の高い真っ白なドーム型の天井、壁にぎっしりと並んだ蔵書、そのスケール感に似つかわしくない静寂。

私たちに日本人にはまるでアニメの世界のような非現実的な空間。

「ラ・トローブ」と名付けられたそんなリーディングルームを備えた巨大な図書館が、このビクトリア州立図書館です。

メルボルンの公立図書館として1854年に建てられたこの図書館は、2018年にはオーストラリアで最も忙しい図書館、世界では4番目に来館者の多かった図書館となりました。

200万冊の蔵書、35万点もの写真や原稿、地図、新聞などが収納されています。

現在の建物は1990年から2004年まで約2億ドルを掛けて改修されたものです。

建物を象徴するドーム型リーディングルームは1913年にオープンしたものです。

ノーマン・G・ピーブルス氏によりデザインされたこの八角形のスペースは100万冊以上の蔵書と600人もの閲覧者を収容することができます。

1999年より改装に入り、2003年に「ラ・トローブ・リーディングルーム」と名前を改められました。

この図書館のスワンソン・ストリート側の正面玄関前の芝生はメルボルン市民憩いの場となっており、お昼時にはピクニックランチを楽しむ会社員や学生で賑わいます。

歴史的価値の高い数々の古書や1800年代や1900年代の地図があるだけでなく、オーストラリアのアイコンのひとつともなっている無法者「ネッド・ケリー」が死の直前に警官隊と打ち合った際に身に付けていたお手製の鎧も展示されています。

建造物名

ビクトリア州立図書館(State Library Victoria)

場所

328 Swanston Street, Melbourne VIC 3000 (地図)

Webページ https://www.slv.vic.gov.au/

王立展示館

国会議事堂を思わせる荘厳な佇まい。花々が咲き乱れ、緑濃い庭園を誇るこの建物が王立展示館(または王立博覧会ビル)です。

世界文化遺産に登録されているこの王立展示館は、1851年から1915年の間に行われた50以上もの国際博覧会のひとつとして、1880年に建てられました。

26ヘクタールもの広大な土地に、150メートルという横幅で建てられています。

デザインは、メルボルン市庁舎やビクトリア州立図書館も手掛けたジョセフ・リード氏によるものです。

レンガ、木材、金属、スレートにより建てられており、ビザンチン、ロマネスク、ロンバルディック、イタリアン・ルネッサンスの各様式を取り入れており、オーストラリア最初の大陸ヨーロッパ風建築とも言われています。

1880年から1881年にはメルボルン国際博覧会を招致し、1888年にはヨーロッパ人のオーストラリア入植100周年を記念した、百周年国際博覧会の会場にもなりました。

1901年5月9日には第一回オーストラリア連邦議会の開会式も同建物内で開かれました。

その後、連邦議会はビクトリア州議事堂へ移動し、ビクトリア州議会がその後、26年間に渡りこの王立展示館で開かれました。

その後、幾多の焼失や取り壊しにより建物の一部を失いましたが、「グレート・ホール」と呼ばれるメインの建物は損壊を免れています。

1851年からの国際博覧会ムーブメント中に建てられた中で最も保存状態の良い建物として、この王立展示会は2004年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

直近では、新型コロナウイルスに対するメルボルン市の大規模ワクチン接種センターとして利用されています。

建造物名

王立展示館(または王立博覧会ビル/ Royal Exhibition Building)

場所

9 Nicholson Street, Melbourne VIC 3000 (地図)

Webページ https://museumsvictoria.com.au/reb/

セント・パトリック大聖堂

金色の尖塔と濃灰色の建屋でメルボルン中心地に存在感を誇る巨大な教会がこのセント・パトリック大聖堂です。

1848年に聖アウグスチノ修道会が修道士であったジェームス・グールド氏をメルボルンで最初の司教に指名しました。

オーストラリアでは4番目の司教となったジェームス・グールド氏は、イースタン・ヒル地域に5エーカーの土地取得を申請し、1851年、メルボルン創立からわずか16年にしてローマ・カトリック教会の建設が認可されました。

当時、メルボルンのカトリック・コミュニティーの大勢はアイルランド移民に占められていたので、教会はアイルランドの守護聖人である聖パトリキウスにちなんでセント・パトリック大聖堂と命名されました。

メルボルンの教会建築の第一人者ウイリアム・ウォーデル氏により設計されたこの教会は、当時のゴールドラッシュによる深刻な労働力不足に見舞われたため完成が遅れに遅れ、90年近い歳月を経て1939年にやっと完成しました。

1986年には教皇ヨハネ・パウロ2世が公式訪問しています。

横幅こそ103.6メートルとシドニーのセント・メアリー大聖堂に最長の座を譲りましたが、尖塔の高さ105メートルとオーストラリアで最も背の高い教会、そしてオーストラリアで最も大きな教会、の座を誇っています。

夜は外壁がライトアップされるので、さらに神秘的な佇まいを楽しむことができます。

1870年代には聖堂内にパイプオルガンが作り始められ、1880年に完成しています。

現在のパイプオルガンは1962年から1964年に修復されたものとなっており、教会の聖歌隊とともに今もその美しい音色を来訪者へ届けています。

大聖堂の鐘のうち8つはゴールド司教が訪欧の際に購入したもので、8つ合計で35トンもの重さがあります。

1988年にはこれに9つめの鐘が追加され、現在に至ります。

建造物名

セント・パトリック大聖堂(St. Patrick’s Cathedral)

場所

1 Cathedral Pl., East Melbourne VIC 3002 (地図)

Webページ https://melbournecatholic.org/about/st-patricks-cathedral

クックス・コテージ(キャプテン・クックの生家)

メルボルン、フィッツロイ庭園の中に建つレンガ造りのこじんまりとした家、それがキャプテン・クックの生家、クックス・コテージです。

ジェームス・クックは言わずと知れた、1770年にシドニーのボタニー湾に初めて上陸し、オーストラリア大陸の領有を宣言したイギリスの海軍士官にして海洋探検家です。

ジェームス・クックの生家は1755年に、クックの両親により英国イングランドのノースヨークシャー州グレート・アイトンに建てられたもので、1934年10月にメルボルン入植100周年を記念し、イングランドよりフィッツロイ庭園内に移されました。

移動の際にはレンガひとつひとつにまで解体され、253箱と40樽に梱包され海を渡りました。

この生家はオーナーにより売りに出されていましたが、オーストラリア人のラッセル・グリムウェイド氏により落札。

ビジネスマンであり慈善家でもあったグリムウェイド氏はこの家をビクトリア州の人々へと寄贈しました。

1978年にはさらなる修復が行われ、家の周囲にも英国風庭園が造られました。

内部の家具は当時のイングランドの生活を再現して展示されています。

建造物名

クックス・コテージ(キャンプテン・クックの生家/ Cook’s Cottage)

場所

Fitzroy Gardens, Wellington Parade, East Melbourne VIC 3002 (地図)

Webページ http://www.fitzroygardens.com/Cooks_Cottage_History.htm



キャンベラ国会議事堂

オーストラリアの連邦議会が開かれるのがキャンベラにあるこの国会議事堂です。

現在の国会議事堂はキャピタル・ヒルに建てられており、1988年5月9日にオープンしました。

当時の金額で11億ドルもの巨額を投じて建設されました。

川をせき止め湖を作り出したり、機能的に道路を配置したりと計画的に設計された都市・キャンベラの、放射線状に伸びる道路の中心にこの国会議事堂が位置しています。

もともと連邦議会は1927年までメルボルンにて開かれていました。

1927年から1988年までは現在の国会議事堂の手前に建っている白い建物、旧議事堂にて議会が開かれていました。

現国会議事堂には4700もの部屋があり、議事堂の大部分は一般に公開されています(現在はコロナ渦により一時休止中)。

メインのホールには大理石の階段があり、グレート・ホールと呼ばれる大議事室に続いています。

大議事室には大きなタペストリーが掲げられており、下院の会議場は緑をテーマにし、上院の会議場は赤をテーマにして装飾されています。

ふたつの会議場の間はメンバーズ・ホールとなっており、こちらは一般公開はされていません。

大臣棟にはオーストラリア首相のオフィスや他の大臣の執務室があります。

建造物名

国会議事堂(Parliament House)

場所

Parliament Drive, Canberra ACT 2600 (地図)

Webページ https://www.aph.gov.au/

ブリスベン・シティホール

ブリスベンのランドマークとなる大きな時計台と神殿を思わせる花崗岩でできたベージュ色の豪奢な建物。

それがブリスベン・シティホールです。

ローマのパンテオン神殿を模したとされる講堂といくつかの小さなレセプションルームを擁しています。

講堂には大きな円形のホールがあり、1600人もの人を収容することができます。

この円形のホールの上部には青銅製のドームがあり、これは南半球最大のものとなっています。

1914年に当時のブリスベン市長、チャールズ・モファット・ジェンキンソン氏により現在のキング・ジョージ・スクエアがその建設地に選ばれ、1917年に着工しました。

1930年に公式にオープンし、1980年代に一度、そして2010年から2013年までの二度に渡る改修工事を経て現在に至ります。

イタリア・ルネッサンス様式のこの建物には64メートルの高さを誇る時計台があり、四角柱の尖塔の4面すべてに直径4.8メートルの時計が埋め込まれています。

短針の長さは1.7メートル、長針の長さは3メートルあり、そのウェストミンスター式チャイムが15分ごとに時を知らせてくれます。

キング・ジョージ・スクエアの正面玄関ではキング・ジョージ5世と2頭のライオンの銅像が出迎えてくれます。

建造物名

ブリスベン・シティホール(Brisbane City Hall)

場所

64 Adelaide Street, Brisbane QLD 4000 (地図)

Webページ https://www.facebook.com/EPICUREatBrisbaneCityHall/

Q1(キューワン)

ゴールドコースト、サーファーズパラダイスの青空に突き抜けるようにそびえ立つ青銅色の円柱、それがサーファーズパラダイスのランドマーク、Q1(キューワン)です。

完成した2005年11月からその後2011年まで、世界で最も背の高い居住棟となっていました。

2021年現在も世界で11番目に背の高い居住ビルディングとなっています。

尖塔も入れた高さが322.5メートル、屋根までの高さが245メートルとなっており、77階と78階が展望デッキ「スカイポイント」となっています。

スカイポイントはサーファーズパラダイスのビーチから230メートルの高さに位置しており、一度に400名が収容可能となっています。

屋根までの高さで比較した場合、オーストラリアにはメルボルンの「オーストラリア108」(屋根の高さ316.7メートル)、「ユーレカタワー」(屋根の高さ297.3メートル)などがありますが、世界基準は尖塔までを含めた高さで比較することとなっていますので、このQ1が現在もオーストラリアで最も背の高い建物となっています。

その特徴的な外見は、シドニーオリンピックのトーチとオペラハウスからインスパイアされてデザインされています。

またその名称「Q1」は1920年代に活躍したスカル(ボート競技)のオリンピックチームの愛称、Q1から来ています。

Q1はコンドミニアム型の宿泊施設として「Q1リゾート&スパ」の名称で営業しています。

リゾートは2つのラグーンプール、ジム、スパ、ミニシアターを備えており、宿泊のルームカテゴリーは1ベッドルーム、2ベッドルーム、3ベッドルーム、4ベッドルームのアパートメントおよびペントハウスに分かれています。

展望デッキ「スカイポイント」では、展望デッキへの観光の他、スカイポイント・ビストロ + バーでお食事を楽しんだり、命綱を付けて展望デッキの外側を歩く「スカイポイント・クライム」を楽しむことができます。

建造物名

キューワン(Q1)

場所

9 Hamilton Avenue, Surfers Paradise QLD 4217 (地図)

Webページ https://www.q1.com.au/

フリーマントル刑務所

パース近郊のおしゃれな港町・フリーマントルには観光スポットとしては珍しい建物があります。

それがこのフリーマントル刑務所です。

フリーマントル刑務所は、シドニーのハイド・パーク・バラックス、タスマニア州のポートアーサーら他の11の施設と共に「オーストラリアの囚人遺跡群」として2010年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

フリーマントル刑務所は1851年に、イギリス本国から流刑に処せられた囚人たちのための刑務所として着工されました。

完成したのは1859年で、当時は「石灰岩でできたロッジ」=ライムストーン・ロッジと呼ばれていました。

1868年にイギリス本国から西オーストラリアへの流刑処置が廃止されると徐々に流刑囚人の数は減り、1886年には刑務所は西オーストラリア植民地政府の管轄となって西オーストラリアの囚人が収容されるようになりました。

第一次世界大戦から第二次世界大戦の間はオーストラリア陸軍によりフリーマントル刑務所の一部が利用され、1939年から1946年の間は陸軍の軍事刑務所としても利用されました。

1988年には刑務所内の室温が高温になることを巡り「フリーマントル刑務所暴動」が起き、これを機に1991年11月、フリーマントル刑務所は閉鎖となりました。

6ヘクタールの敷地には今も刑務所の他、守衛詰所、防護壁、コテージ、トンネル、囚人たちが残した芸術作品が残されています。

建造物名

フリーマントル刑務所(Fremantle Prison)

場所

1 The Terrace, Fremantle WA 6160 (地図)

Webページ https://fremantleprison.com.au/

フレッシュウォーター駅

サトウキビ畑に囲まれたクラシックな駅舎、それがフレッシュウォーター駅です。

フレッシュウォーター駅はケアンズ郊外の世界自然遺産の熱帯雨林のジャングルを駆け抜けるキュランダ高原列車の駅のひとつです。

キュランダ高原列車はテーブルランド鉄道線の一部、ケアンズ・キュランダ鉄道線を走ります。

テーブルランド鉄道線は内陸のハーバートン近郊の鉱山とケアンズ港を結ぶ線路として建設されました。

フレッシュウォーター地域を含むケアンズからの最初の8マイルは1887年10月に開業しました。

開業前の1887年3月、そして開業後の1888年1月には大雨による2度の洪水に見舞われています。

こうした苦難を乗り越え1887年から4年の歳月をかけてキュランダ高原列車を建設した開拓者たちに敬意を表し、1984年にこのフレッシュウォーター駅が建てられました。

現在は空港やケアンズ市内のホテルから観光客を乗せてくるツアーバスからキュランダ鉄道に乗り換える中継地として機能しており、「フレッシュウォーター・コネクション」とも呼ばれています。

また、駅舎にはキュランダ高原列車の歴史を紹介する展示室があるほか、85年前の客車を利用したレストラン、「レストラン・パビリオン」があります。

レストラン・パビリオンでは昔ながらのほの明るい電灯と優しい冷暖房に迎えられて、キュランダ観光前に朝食を楽しむことができます。

2018年には改装工事も行われプラットフォームが延長されたほか、駐車場の拡張、バリアフリー施設への設備追加などが行われました。

建造物名

フレッシュウォーター駅(Freshwater Railway Station)

場所

Kamerunga Road, Barron QLD 4878 (地図)

Webページ https://www.ksr.com.au/KSRJapan/Pages/Freshwater.aspx

チラゴー精錬所

ケアンズから西へ205km。

赤土とブッシュに囲まれたレンガ造りの煙突。

1992年にクイーンズランド州より歴史的建造物として遺産指定されたチラゴー精錬所は現在、建物の内部に入ることはできず、駐車場から展望台を繋ぐ遊歩道からその赤土にそびえ建つ煙突と静かに佇む精錬所の全景を見ることができます。

チラゴー地区は1887年に銀の発掘により初めて注目を集めました。

マリーバ地区から150kmもの距離を走る鉄道が1900年に完成すると、大規模な鉱物原料の運び込みとそこから精錬された商品の出荷が可能になったためこの精錬所の建設が始まりました。

その後、1908年には労働者の賃金値上げおよび銅の価格下落、1909年には鉛の価格下落、さらに1911年には当時、鉱物供給を頼っていたイーサーリッジとの間の鉄道の橋が大雨で流されチラゴー精錬所が操業停止に追い込まれたりと数々の不運に見舞われました。

しかしながら1920年には第一次世界大戦により金属や銅の価格が上がり、その施設価値を見直したクイーンズランド州政府により資金援助を受けるに至ります。

建設当初に計画された精錬能力を活かしきることなく、資金援助を受けながら雇用確保のために操業を続けていたチラゴー精錬所はそれでも1932年には創業以来、最大量の銅の生産を達成しました。

ところが今度は第二次世界大戦が始まるとオーストラリア政府は国内の鉱物生産体制の効率化、高収益化の見直しを迫られ、毎年赤字を計上し生産能力の4分の1程度しか稼働しておらず千キロも離れた鉱山から鉱物材料を運び入れる必要のあった“採算の合わない“チラゴー精錬所は事業整理の対象となり、その40年あまりの歴史に幕を閉じました。

この40年の間にチラゴー精錬所は125万トンの鉱物を精錬し、6万トンの銅、5万トンの鉛、184トンの銀、5.1トンの金を精製しました。

建造物名

チラゴー精錬所跡(Chillagoe Smelters)

場所

Chillagoe QLD 4871 (地図)

Webページ https://parks.des.qld.gov.au/parks/chillagoe-caves/about/chillagoe-smelters

ポート・アーサー

ポート・アーサーはタスマニア州の州都ホバートから約60km離れたこじんまりとした街です。

かつてはここにオーストラリア国内最大の流刑植民地がありました。

タスマニア島へのヨーロッパ人の入植は1803年に始まりましたが、当初からヨーロッパ人と先住民族アボリジニとの衝突がありました。

ヨーロッパ系白人の人口増加に反比例してアボリジニの人口は激減し、さらに1826年、副総督であったジョージ・アーサーは武力でアボリジニを追い払う権利を白人に与え、軍隊の武力をもってこれをサポートすることを宣言しました。

1830年にはアボリジニの人々をタスマン半島へ追いやり捕獲するという作戦が展開されました。

そんな中、ポート・アーサーは1830年に木場として開拓され始め、やがて造船、靴製造などが展開されます。

1833年には流刑植民地の建設が始まり、イギリス人やアイルランド人にとって最も過酷な流刑地と呼ばれるようになりました。

中でも巨木を切り出し製材する業務に従事させられるのは重労働でした。

タスマン半島はイーグルホーク・ネックと呼ばれる地峡でタスマニア本島と繋がっており、ここに哨戒灯と哨戒犬を配備した脱走監視システムはポート・アーサーを最も厳格なセキュリティ体制の流刑植民地にしていました。

1840年代半ばになると流刑囚人の数が減っていき、1877年にはポート・アーサーの刑務所も閉鎖されました。

その後、タスマン半島の自然の美しさが見直され、1880年に刑務所施設は観光施設へ生まれ変わりました。

1892年には観光客のために港も整備されました。

タスマン半島の土地は農場や果樹園へと生まれ変わり、農業がタスマン半島の基幹産業として成長します。

20世紀初頭までにタスマン半島には8つの学校も設立されました。

1987年にはポート・アーサー歴史史跡管理局が設立されました。

ポート・アーサーは、シドニーのハイド・パーク・バラックス、西オーストラリア州のフリーマントル刑務所ら他の11の施設と共に「オーストラリアの囚人遺跡群」として2010年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

建造物名

ポート・アーサー(Port Arthur)

場所

Port Arthur TAS 7182 (地図)

Webページ https://portarthur.org.au/



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  • ポートアーサー

    ポートアーサー

    タスマン半島に位置するポートアーサーは、 2010年、「オーストラリアの囚人遺跡群」の1つとしてユネスコの世界遺産に登録された、かつてのオーストラリア国内最大の流刑植民地である。

    1830年から囚人の収容が始まり、1833年から1850年代には犯罪者の中でも最も極悪な囚人たちが収容され、過酷な労働を強いられた。この収容所は、タスマニア本島とは イーグルホーク・ネック と呼ばれる細い回廊のみで繋がっており、周りは多数のサメが生息する海に囲まれているため、 「脱出不可能な監獄」 と呼ばれていた。

    このポートアーサー流刑植民地は、最大1100人の囚人を収容していたが、1870年代になると囚人は激減し、1877年には最後の囚人が移送され、この地はカーナボン(Carnarvon)と改名された。 刑務所が閉鎖されて以降、一帯の施設は少しずつ廃墟と化していき、更に1895年と1897年には壊滅的な火事に襲われ、一帯の古い建物の多くが焼失した。 しかし、1880年には、ポート・アーサーの施設は、観光施設として生まれ変わり、現在ではこの地の歴史に興味を持つ多くの観光客を魅了している。