ユネスコの世界複合遺産に登録されているタスマニア原生地域の一部である、クレイドル・マウンテン=セント・クレア湖国立公園のハイライトともいえるクレイドル・マウンテンは、タスマニア島を訪れる観光客にとって最も人気の目的地である。

タスマニア島の北西に位置するクレイドル・マウンテンは、デボンポートからは車で約1時間半、ロンセストンからは約2時間のアクセスとなる。

国立公園内には、1545メートルのクレイドル・マウンテン、1614メートルのタスマニア最高峰のマウント・オッサや湖の自然をはじめ、ユーカリの森や、色鮮やかな低木の花々などの色彩豊かな植物、ワラビー、ポッサム、カモノハシ、ハリモグラ、ウォンバットなどの野生動物など、大自然の宝庫である。

ウォーキングコースは、所要時間20分程度で、お子様も参加できる初級コースのものから、80㎞もの距離があり、約6日ほどかけて歩くオーバーランド・トラックという難関コースまで、様々なコースが用意されおり、ファミリーから本格的なトレッキングを求める方まで、みながこのクレイドル・マウンテンの大自然を満喫することができる。

天候の変化が激しいクレイドル・マウンテンだが、晴れた日には青空を背景に、ダブ湖に映るクレイドル・マウンテンが息を飲むほど美しいので、ぜひシャッター・チャンスを狙ってみよう。

ベイ・ オブ・ ファイヤーは、タスマニアの北東端、ウィリアム国立公園の先端にあり、 その名は、かつてアボリジニがこの地で焚き火をしていたことから付けられたという。

この国立公園南端から南のビナロング・ベイを結ぶ全長約35キロの海岸線がベイ・オブ・ファイヤーと呼ばれており、良く晴れた日には、真っ青な空、純白の砂浜、そしてオレンジ色の岩という、3色の美しいコントラストを見ることができる。その美しさは、オーストラリアのベスト・ビーチにも毎年ベスト10入りしているほどだ。

ベイ・オブ・ファイヤーで見られる、この随所にあるオレンジ色の岩は花崗岩だが、風化して丸くなった岩塊の表面をオレンジ色の地衣類という、コケよりも原始的な植物が覆っている。ベイ・オブ・ファイヤーと名付けられた本当の理由が、この岩の色から来ているという説もある。

 

 

ホバートからわずか1時間のドライブで行くことができるマウントフィールド国立公園は、「タスマニア原生地域」という世界遺産の一部だ。3つの滝からなるラッセル・フォールズは簡単な散策コースを通って行ける。

散策の道中は、2億年以上前のゴンドワナ時代から生き延びていると言われる深い緑のマンファーン(巨大な木性シダ)や、世界でも最も背の高いユーカリの一種の木スワンプ・ガムの森を鑑賞することができ、まるで古代の森レインフォレストにタイムスリップしたかのようだ。また、川の水が濃い茶色なことに驚くかもしれないが、これは決して汚染されているわけではなく、ボタングラスという植物の根から染み出たタンニンの色に染まったためである。

ラッセル・フォールズの水量はオーストラリアの冬の時期(7-8月)に増えるため、迫力のある滝を、また、秋になる4月から5月の時期は、オーストラリア唯一の落葉樹ファガス(ブナの一種)の赤や黄色、オレンジの美しい紅葉を楽しむことができる。

 

 

フレシネ国立公園は、タスマニア州東部にあり、フレシネ半島の大部分を占める。その国立公園内にあるワイングラス・ベイは、世界の10大ビーチのひとつに数えられ、ピンクとグレーの花崗岩の丘陵地帯を背景に、三日月の形をした純白の砂浜、ターコイズカラーの海が広がり、オーストラリアで最も美しい自然景観の一つとなっている。

その名の通り、きれいに曲線を描いたビーチがワイングラスの底のように見えることから、この名前がつけられた。 国立公園内には野生動物も多種生息しており、ベネットワラビー、ポッサム、ハリモグラなどにハイキング中に遭遇する確率も高い。

この自然の景観を楽しむことができるハイキングコースは、初級から上級まで揃っている。初心者にもお勧めのコースは、往復4km、1時間半で行ける「ワイングラスベイ展望台コース」。展望台から見下ろすワイングラスベイは、まさに息をのむほど美しい。そこからさらに余力があれば、ワイングラス・ベイのビーチに降りて純白の砂浜を散策するのもいいだろう。体力に自信がある方は、往復3時間のアモス山の山頂を目指すコースもある。

 

タスマン半島に位置するポートアーサーは、 2010年、オーストラリアの囚人遺跡群の1つとしてユネスコの世界遺産に登録された、かつてのオーストラリア国内最大の流刑植民地である。

1830年から囚人の収容が始まり、1833年から1850年代には犯罪者の中でも最も極悪な囚人たちが収容され、過酷な労働を強いられた。この収容所は、タスマニア本島とは イーグルホーク・ネック と呼ばれる細い回廊のみで繋がっており、周りは多数のサメが生息する海に囲まれているため、 「脱出不可能な監獄」 と呼ばれていた。

このポートアーサー流刑植民地は、最大1100人の囚人を収容していたが、1870年代になると囚人は激減し、1877年には最後の囚人が移送され、この地はカーナボン(Carnarvon)と改名された。 刑務所が閉鎖されて以降、一帯の施設は少しずつ廃墟と化していき、更に1895年と1897年には壊滅的な火事に襲われ、一帯の古い建物の多くが焼失した。 しかし、1880年には、ポート・アーサーの施設は、観光施設として生まれ変わり、現在ではこの地の歴史に興味を持つ多くの観光客を魅了している。