オーストラリア人裁判長ウィリアム・ウェブと東京裁判|経歴・役割・判決・評価を解説

第二次世界大戦後、日本の戦争指導者を裁いた「東京裁判」。正式名称は極東国際軍事裁判(International Military Tribunal for the Far East=IMTFE)ですが、その裁判長を務めたのがオーストラリア人の裁判官、ウィリアム・フラッド・ウェブ(William Flood Webb)でした。

ウェブは東京裁判のために突然選ばれた人物ではありません。クイーンズランド州(Queensland)の首席判事を務め、戦時中にはオーストラリア政府の依頼で日本軍による戦争犯罪の調査を3度担当。その後、オーストラリア代表判事として東京裁判に参加し、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)によって裁判長に選ばれました。

一方で、この経歴は後に大きな論点にもなりました。裁判前に日本軍の戦争犯罪を調査した人物が、その日本の指導者を裁く法廷の裁判長を務めることは公平なのか――。弁護側はウェブらの資格を問題にし、後世の研究でも裁判の公平性を考える際の重要な論点とされています。

さらに興味深いのは、ウェブが単純に「厳罰を主張した裁判長」ではなかったことです。1948年11月12日、裁判長として東條英機ら7人への死刑判決を読み上げましたが、自身の個別意見では昭和天皇が起訴されなかったこととの均衡を問題にし、死刑には慎重な考えを示していました。

この記事では、日本からの旅行者と在豪邦人向けに、ウェブの生い立ちとオーストラリアでの司法キャリア、日本軍戦争犯罪調査、東京裁判の裁判長に選ばれた経緯、裁判で果たした役割、昭和天皇をめぐる個別意見、現在も続く評価と論争まで、できるだけ客観的に整理します。




ウィリアム・ウェブとは?

東京裁判の裁判長がオーストラリア人だったことは、あまり知られていませんね。
そうですね。ウェブは当時、オーストラリアを代表する裁判官の一人で、東京裁判以前から日本軍の戦争犯罪調査に深く関わっていました。

ウィリアム・フラッド・ウェブは、1887年1月21日に南ブリスベン(South Brisbane)で生まれました。

幼少期に父母を失い、クイーンズランド州ウォリック(Warwick)近郊で育ちました。学校で能力を認められ州奨学金を獲得し、後に法律の道へ進みます。

1913年にクイーンズランド州で弁護士資格を取得。その後、州の公選弁護人、政府法律顧問、法務長官に相当するソリシター・ジェネラルなどを歴任しました。

クイーンズランド州での司法キャリア

ウェブは1925年にクイーンズランド州最高裁判所(Supreme Court of Queensland)の裁判官となり、1940年にはクイーンズランド州首席判事に就任しました。

労使関係を扱う仲裁裁判所でも長く裁判官・裁判長を務めており、刑事事件だけでなく行政、労働関係を含む幅広い司法経験を持っていました。

東京裁判の裁判長に選ばれた時点で、ウェブは突然国際舞台に登場した法律家ではなく、すでにオーストラリア国内で30年以上の法曹経験を持つベテラン裁判官でした。

日本軍戦争犯罪を調査した「ウェブ報告書」

第二次世界大戦中、オーストラリア政府は日本軍による捕虜や民間人への虐待、処刑、拷問などの情報を収集し始めました。

1943年6月、ウェブは政府から委員に任命され、日本軍による残虐行為や戦時国際法違反があったかを調査することになりました。

この一連の調査報告は現在、一般に「ウェブ報告書(Webb Reports)」と呼ばれています。捕虜、生存者、軍関係者などから証言を集め、戦後の戦争犯罪訴追に備えるための基礎資料となりました。



3度にわたる戦争犯罪調査

ウェブが担当した調査は1度だけではありません。1943年から1945年にかけて、オーストラリア政府はウェブに3度の調査を委ねました。

調査 主な内容
第1次ウェブ調査 日本軍による残虐行為、戦時国際法違反を調査。1944年3月に報告
第2次ウェブ調査 オーストラリア人に対する個々の戦争犯罪を調査。1944年10月に報告
第3次ウェブ調査 敵国人によるオーストラリア人などへの戦争犯罪を広範囲に調査。1946年1月に報告

第1次調査では471人、第2次では112人、第3次では208人の証言が記録されました。

こうしてウェブは、東京裁判の裁判長になる以前から、日本軍による戦争犯罪に関する大量の証拠と証言に接していました。

なぜ東京裁判の裁判長に選ばれた?

1946年1月、オーストラリア政府はウェブを極東国際軍事裁判のオーストラリア代表判事として推薦しました。

その後、同年3月に連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーがウェブを裁判長に選出しました。

オーストラリア政府にとってウェブは、高い司法経験を持ち、太平洋戦争の戦争犯罪調査にも詳しい人物でした。一方、その戦争犯罪調査経験こそが裁判官としての公平性を疑問視される理由にもなります。

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東京裁判中にオーストラリア高等法院判事へ

東京裁判が始まった1946年、ウェブはオーストラリアの最高裁判所にあたるオーストラリア高等法院(High Court of Australia)の判事にも任命されました。

高等法院判事としての在任期間は1946年から1958年。つまりウェブは、オーストラリア最高レベルの裁判官という立場と、東京の国際軍事裁判所の裁判長という立場を同時期に担っていました。




東京裁判とは?

極東国際軍事裁判は、第二次世界大戦後、日本の政治・軍事指導者の戦争責任を裁くために設置された国際軍事裁判です。

1946年4月29日に28人が起訴され、同年5月から東京・市ヶ谷(Ichigaya)で本格的な審理が始まりました。判決と量刑は1948年11月に言い渡されています。

ニュルンベルク裁判と並んで、第二次世界大戦後の国際刑事法形成に大きな影響を与えた裁判ですが、法的根拠、証拠法、裁判官の公平性、勝者による裁判という問題などをめぐり、現在も研究と議論が続いています。

「A級戦犯」とは何を意味する?

日本では東京裁判の被告を「A級戦犯」と呼ぶことが一般的ですが、ここでいうA級は罪の重さのランクを意味するものではありません

一般に、Aは「平和に対する罪」、Bは通常の戦争犯罪、Cは「人道に対する罪」という犯罪類型を示す区分として用いられました。

東京裁判では国家指導者層が主に「平和に対する罪」を含む訴追対象となったことから、「A級戦犯」という呼称が定着しました。

11か国から集まった裁判官

東京裁判の法廷には、オーストラリア、アメリカ、イギリス、中国、ソ連、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド、インド、フィリピンの11か国から11人の裁判官が参加しました。

ウェブはその裁判長として、法廷で審理を進行し、裁判官を代表して発言する立場にありました。

ただし、11人の法律的背景や戦争経験、国際政治上の立場は大きく異なり、裁判が進むにつれて意見の対立も目立つようになります。



裁判長ウェブの役割

裁判長の仕事は、単に最終判決を読み上げることではありません。

法廷での発言順序、証拠提出、弁護側と検察側の議論、証人尋問などを管理し、11人の裁判官からなる巨大な法廷を進行する必要がありました。

ウェブは裁判官の中で実質的に法廷を代表する発言者となり、2年半を超える審理の大部分でその役割を担いました。

一方、強い法廷指揮は弁護人や一部の同僚裁判官との摩擦も生み、後世の研究では「勤勉だった」と評価される一方、法廷運営が強引だったとの批判もあります。

2年半に及んだ巨大裁判

東京裁判は、1946年4月から1948年11月まで約2年半に及びました。

項目 概要
起訴された被告 28人
判決時の被告 25人
法廷で証言した証人 419人
宣誓供述書など 779人分
提出された文書・証拠 4,000点以上
記録 約5万ページ

起訴された28人のうち、松岡洋右と永野修身は裁判中に死亡し、大川周明は精神状態を理由に審理から外れたため、最終的に25人について判決が出されました。

戦争犯罪調査と裁判官の公平性

ウェブをめぐる最大の論点の一つが、東京裁判前の戦争犯罪調査と裁判官としての公平性です。

ウェブは1943年以降、日本軍による戦争犯罪の証拠と証言を集める調査委員を務めました。そのため、裁判が始まる以前に日本側の行為について多くの情報に接し、一定の見解を形成していたのではないかという疑問が生じました。

これは東京裁判研究で現在も指摘される問題です。一方、ウェブ本人は就任前にこの問題を検討し、自分が裁判官を務める法的資格に問題はないと判断していました。




弁護側はウェブの資格を問題視

裁判開始直後、弁護側はウェブを含む複数の裁判官について、裁判官としての資格や公平性を問題にしました。

ウェブの場合、特に問題とされたのが戦時中の戦争犯罪調査です。弁護側から見れば、すでに日本軍の犯罪を調査した人物が同じ戦争を扱う裁判で裁判長になることには、予断を持つ危険があると考えられました。

しかし、この申し立ては認められず、ウェブはそのまま裁判長として審理を続けました。

この点は「ウェブが実際に偏った判決をした」と直ちに意味するものではありません。ただし、現代の司法で重視される「外から見ても公平に見えるか」という観点から、現在も検討される論点になっています。

25人全員に有罪判決

1948年11月4日から多数意見による判決文の朗読が始まりました。

最終的に審理対象となった25人は、全員が少なくとも一つの訴因について有罪とされました。

ただし、これは11人の裁判官全員が同じ判断をしたという意味ではありません。東京裁判では複数の裁判官が多数意見とは異なる個別意見を提出しています。

7人への死刑判決

1948年11月12日、裁判長ウェブが被告それぞれの刑を読み上げました。

人数
死刑 7人
終身刑 16人
禁錮20年 1人
禁錮7年 1人

死刑となったのは、東條英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7人です。

7人は同年12月23日に東京の巣鴨プリズン(Sugamo Prison)で絞首刑となりました。



ウェブ自身は死刑に慎重だった

ここは東京裁判におけるウェブを理解するうえで、特に重要な部分です。

ウェブは裁判長だったため、法廷では多数意見に基づく死刑判決を読み上げました。しかし、それがそのままウェブ個人の量刑意見だったわけではありません。

ウェブは別に個別意見を作成し、昭和天皇が起訴されず免責された事実を考慮すれば、部下である被告たちに死刑を科すことには問題があるという趣旨の考えを示しました。

つまり「裁判長ウェブが7人を死刑にした」という説明だけでは、彼の実際の立場を十分に表していません。

昭和天皇をめぐるウェブの考え

ウェブは個別意見の中で、戦争開始における昭和天皇の地位と責任についても触れました。

彼は、立憲君主であることだけを理由に戦争開始への責任を完全に免れることはできないという考えを示し、天皇が起訴されなかったことと、被告への刑罰との間の公平性を問題にしました。

これは当時の連合国軍最高司令部の占領政策にとって非常に敏感な問題でした。マッカーサーは日本占領を安定させるため、昭和天皇を訴追せず皇室制度を利用する方針を取っていたからです。

「天皇を起訴せよ」と主張したのか?

ウェブの個別意見は、「昭和天皇も東京裁判で起訴すべきだった」と単純化して説明されることがあります。

しかし、ウェブ自身は天皇を起訴すべきだと自分が要求しているのではないことを明確にしました。

彼が裁判官として問題にしたのは、天皇が政治的判断によって訴追を免れた以上、その事情を有罪となった被告の量刑でも考慮する必要がある、という点でした。

そのためウェブの立場は、「天皇の責任を完全に否定する立場」でも、「天皇の起訴を裁判所から要求する立場」でもなく、免責と死刑の均衡を問題にしたものと理解するのが適切です。




パール判事など他の個別意見

東京裁判の11人の裁判官は、法律問題や量刑について完全に一致していたわけではありません。

ラダビノード・パール

インド代表のラダビノード・パール(Radhabinod Pal)判事は、多数意見の法的根拠に反対し、全被告を無罪とすべきだという長大な反対意見を書きました。

アンリ・ベルナール

フランス代表のアンリ・ベルナール(Henri Bernard)判事は、裁判手続きに重大な問題があるとして多数意見に反対しました。

ベルト・レーリンク

オランダ代表のベルト・レーリンク(Bert Röling)判事も多数意見の一部に反対し、特に被告ごとの責任と量刑について異なる判断を示しました。

デルフィン・ハラニーヤ

フィリピン代表のデルフィン・ハラニーヤ(Delfin Jaranilla)判事は逆に、判決の刑罰が軽すぎるという立場を取りました。

こうした個別意見を見ると、東京裁判を「11か国の裁判官が同じ考えで日本を裁いた」と理解するのは正確ではありません。

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東京裁判への現在の評価

東京裁判は現在も評価が大きく分かれる歴史的裁判です。

肯定的な評価では、国家指導者による侵略戦争や大規模な戦争犯罪について国際的な責任を問うという、当時としては画期的な試みだったことが重視されます。後の国際刑事裁判の発展を考えるうえでも重要な先例となりました。

一方で、裁判官と検察がすべて戦勝国側から選ばれたこと、「平和に対する罪」を戦後に適用したことへの罪刑法定主義上の疑問、証拠採用基準の緩さ、連合国側の行為が裁判対象にならなかったこと、昭和天皇を訴追しなかったことなどが批判されています。

そのため現在の歴史研究・国際法研究では、東京裁判を全面的に正当化するか全面的に否定するかではなく、法的成果と制度上の問題を分けて検討する見方が一般的です。

ウェブ自身への評価

ウェブへの評価も一様ではありません。

オーストラリア側の資料では、膨大な戦争犯罪証言を集め、長期間にわたる巨大な国際裁判を率いた勤勉な裁判官として評価されます。

その一方で、裁判前の戦争犯罪調査による公平性の問題、法廷で弁護側や同僚裁判官に厳しい態度を取ったこと、複雑な国際法廷をまとめる外交的な能力に欠けていたという批評も残されています。

それでも、オーストラリア人の裁判官が第二次世界大戦後最大級の国際裁判の裁判長を務めたという事実は、オーストラリアの司法史・外交史において非常に大きな出来事でした。



東京裁判後のウェブ

東京裁判終了後、ウェブはオーストラリアへ戻り、高等法院判事として1958年まで勤務しました。

東京裁判関連の書類、私信、裁判記録などはその後オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial)などに収蔵され、現在も研究資料として利用されています。

ウェブは1972年8月11日に85歳で死去。ブリスベン郊外のナジー墓地(Nudgee Cemetery)に埋葬されています。

日本では「東京裁判の裁判長」という一点で知られることが多い人物ですが、オーストラリアではクイーンズランド州首席判事、高等法院判事、戦争犯罪調査官という複数の顔を持つ司法官でした。

東京裁判の法廷は現在も見学できる

東京裁判が開かれた旧陸軍省の建物そのものは、現在の場所には残っていません。

しかし、裁判で法廷として使われた大講堂など建物の主要部分は移築・復元され、現在は東京都新宿区の防衛省市ヶ谷地区にある市ヶ谷記念館(Ichigaya Memorial Hall)として保存されています。

2026年9月現在、防衛省は平日の午前・午後に事前予約制の「市ヶ谷台ツアー」を実施しています。午前コースでは市ヶ谷記念館など、午後コースでは市ヶ谷記念館に加えて大本営地下壕跡などを見学できます。

項目 2026年9月現在
見学日 原則として月~金曜日(祝日・年末年始を除く)
午前 9:30~11:30頃
午後 13:30~15:50頃
予約 事前予約制
東京裁判法廷 市ヶ谷記念館の大講堂として見学
大本営地下壕跡 午後コース、有料700円

東京裁判を歴史書だけでなく実際の空間から考えてみたい人にとって、非常に興味深い見学先です。

防衛省・市ヶ谷地区見学(市ヶ谷台ツアー)公式案内

ウィリアム・ウェブと東京裁判に関するよくある質問(FAQ)

東京裁判の裁判長は誰ですか?

オーストラリア人裁判官のウィリアム・フラッド・ウェブです。オーストラリア代表判事として参加し、ダグラス・マッカーサーによって極東国際軍事裁判の裁判長に選ばれました。

ウェブはオーストラリアでどのような裁判官でしたか?

1940~1946年にクイーンズランド州首席判事を務め、1946~1958年にはオーストラリア高等法院判事を務めました。

ウェブは東京裁判前に日本軍を調査していたのですか?

はい。1943年から1945年にかけてオーストラリア政府の委員として3度、日本軍による戦争犯罪の調査を担当しました。この調査は一般にウェブ報告書と呼ばれています。

その経歴は裁判の公平性の問題になりませんでしたか?

問題になりました。弁護側はウェブを含む裁判官の資格を問題視しましたが、申し立ては認められませんでした。現在の東京裁判研究でも、ウェブの事前調査と裁判官としての公平性は重要な論点です。

ウェブは昭和天皇を裁判にかけるべきだと主張したのですか?

単純にはそう言えません。ウェブは個別意見で昭和天皇の戦争責任に触れましたが、自分が天皇の起訴を要求しているのではないと明記しました。彼が問題にしたのは、天皇が訴追を免れたことを被告の量刑でも考慮すべきだという点でした。

ウェブは7人の死刑に賛成していたのですか?

裁判長として多数意見による死刑判決を読み上げましたが、ウェブ自身の個別意見は量刑について異なりました。昭和天皇が訴追されなかったこととの均衡から、被告への死刑には慎重な考えを示しています。

東京裁判の法廷は今も見学できますか?

はい。法廷として使われた大講堂は市ヶ谷記念館に移築・復元され、防衛省の事前予約制「市ヶ谷台ツアー」で見学できます。



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